6/17【エッセイ】ASDと鳥レバー煮の気づき

知能指数検査を受けて思うこと

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医師「見るからにASDなんですけどねぇ」
僕「ですよねぇ?」

 先日、心理検査、つまり知能指数検査の結果を受け取りに行きました。

 ここ1年間ほど、ギフテッド。知能指数の高い人についていろいろ関心を持って調べていました。

 なぜかというと、自分がそうなんじゃないかと考えたからなんです。

それは自惚れじゃない?

 自分がギフテッドという人を見ると、まず僕はそう思います。一方で「、じゃぁどんな根拠で?」というと、「知能指数が高いから」という方が多いです。

 じゃぁ、具体的に何ができるのかを聞いてみると、「なるほどそれは天才だ」と思う人がたくさんいらっしゃいました。

 例えば、ドラッグストアを一周しただけで業界がいずれ傾くことを説明できる方。原価を計算し、人件費と対比すると、ひとをこき使うモデルだから無理だろう。とのことで。いやはや、天才だ。

 その方についていえば、自分がギフテッドであることは当然の事実であって、それ以上でもそれでもないという認識に見受けます。知能指数が高いとはいえ、確率的にいってそれほど珍しい存在ではないと認識されているようです。

 実際にnoteのコメントで確認したところ、「結構ありふれた存在なんですけどね」と謙虚なお返事が返ってきました。

 つまり、うぬぼれていない。

 ぼく自身は、小さいころ勉強が得意で、読書が好きな子供でした。

 といっても高学年の児童書を読んだり、学研の学習科学を読んで、「ムー大陸が存在した可能性」について語ったりする程度の、いわゆる天才児のようなすごい才能を持ってはいませんでした。

 しいて言えば、映像記憶能力というなんでも記憶する才能を持っていて、父親にメモ帳代わりに使われていたくらいでしょうか。

 その能力は嫌なことも何度も思い出すので、あるタイミングでえいやっと手放しました。

 そして、学年が上がるにつれて、それほど成績上位ではなくなります。

 それでも、細かい違和感から「特別扱い」を感じ続けていました。

 「言わなくても何とかするし、言ったところで聞かない」

 そんな「特別扱い」だったと思います。

貴方には、特別な授業を受けさせてあげたかった

 専門学校時代、とても教えるのが上手な先生に、卒業後にそう言われました。

 ながらく人生の低迷期にいて、ひとよりできない人生を続けていた僕にはもう、そんな「特別扱い」は過去のことだったのに、とても優秀な先生からそう評価されました。

 その言葉が、少しずつ自分がギフテッドである可能性を再考する引き金になりました。

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自分がギフテッドであると判明した時、他人を見下すんじゃないか?

 実は、数年前に簡易WAISを受けたことがあり、その時点で知能指数が高い可能性が判明していました。

 その時、自分の中で選民意識が強く芽生えたことをまざまざと覚えています。

 その後、自分よりずっとできる人の実力を目の当たりにし、その人から「世の中には比べるのがばからしくなるほど優秀な人がいますから」とこともなげに言われ、目が覚めたんです。

 それから数年が過ぎて、僕は発達障がい支援における支援計画を立てる専門職に就きます。

発達障がい支援は事実上のギフテッド支援

 発達障がいの方は、一芸に秀でているというイメージを、世間一般ではもたれています。

 ある程度そうだというのが、僕の見解です。

 発達障がいといっても、十人十色です。

 障害のあるなしにかかわらず、人はそれぞれ違う。

 ただ、発達障がいの方は確かに、輝く才能を持つ確率が高いと感じるのです。

 それは僕にとって、ギフテッド支援というくくりに入っています。

 自分の中でずっとやりたかったんです。

通常の教育では社会生活に生きづらさを感じる人が、障がい者なのかも

 ユーチューバー精神科医の益田裕介ドクターが、以前動画で仰いました。

 その定義は納得のいくものでした。

 僕は通常の教育で生きづらさを感じる人間でした。

 じゃぁ、きっと、発達障がいなんだろう。

 知能指数検査を受けたときに、能力に激しい凸凹があるんだろう。

 …そしておそらく、高い数値が出るんだろう、きれいごと抜きに。

いまなら、差別しないだろう。

 ようやく決心して、知能指数検査を受けました。

 結果は衝撃的なものでした。

 高い数値ではあるものの…

「こういうグラフはお目にかからないですねぇ」

 医師が少し楽しそうに僕に伝えてきました。

 僕の知能指数検査の結果は、数値の凸凹が見受けられなかったからです。

 心療内科を受診し、知能指数検査を受ける方は、ほぼ何らかの能力の偏りが出ます。

 その偏りが生きづらさの理由であると見立てて知能指数検査を受けるからです。

 僕のグラフに偏りがない。

 言語理解、知覚統合、作動記憶、処理速度。

 4つの下位項目における数値の差がほぼ見受けられません。

道理でなんでもできるわけだ

 今の仕事をしていて、やったことのない仕事をたくさん経験しました。

 その都度学習し、対応している。

 仕事の中の法則性を見つけ出し、それに対して効率的な対処を考え、次に伝える。

「なんか変だ。なんでこんなことができるんだろう?何かの病気?」

 嬉しい気持ちより、だんだん不安になっていたんです。

 ですが、結果を見たところそのまんまの数値が出ました。

凄いラッキー

 知能指数検査の結果を見て、自分の持った感想はそれです。

 知能指数の数値は、言語理解以外はほとんど変わりません。生まれ持った才能のようなものです。

 その才能が、横並びで高い。

 これはつまり、どんなことにも柔軟に対応できる、応用力を証明しているのかもしれません。

 一方で、自分の持つ生きづらさについても、心理士さんの所見が示唆していました。

他人と言葉の定義が少し違うことがある

 いつも孤独を感じ、周囲に理解されない。

 孤独が僕の生きづらさ。

 それは同じ言葉を別の意味で使う時があるから。

 お互い話が通じない。

 つまり、知能が高いのではなく、ただ変わり者なだけ。

 びっくりするほど遠回りしましたが、自分の生きづらさの理由はいったん解明。

 じゃぁ、どこに自分の理解者がいるのか?

 そんなのはわかりません。

 確かなことは、理解者が今存在しているということ。

いまを楽しむ

 それが僕の生きづらさへのアプローチだと思います。

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この記事を書いた人

みくりやてつきのアバター みくりやてつき 所長(仮)

在住国:日本 現在地:愛知県 主に発達障がいの方を対象とした、IT特化の、就労移行支援事業所、サービス管理責任者。 精神保健福祉士 TOEIC840 日本語教師 作家

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