僕「じゃぁ」
父「さようなら」
僕「…また」
この会話から、父は孤独を感じていると確信しました。
父はASD傾向のある人間だと思います。僕自身ASDのグレーゾーンで、よくASD的やらかしをかまして、頭を抱えています。
そんな父は、自分の感情を言葉にするのが苦手です。
「孤独を感じひんのん?」
「うーん、わからん」
いつもそう答えます。
そんな父は、末期がんでもう先は長くありません。
「さようなら」
これは、永遠の別れを暗示させる言葉です。不器用ながら、気を遣う性格の父が、あえて心配させるような言葉を言ったということは、孤独を感じたことに違いないと思ったのです。
言いたいのは、
言葉と、文脈、過去の発言に注意を向ける
です。
ASD傾向のある人は、言葉をそのまま受け取ります。また、自分の言葉に正直であったり、結果的に言葉に責任を持つ人が多いです。
ということは、言っていることがそのまま感情を反映している場合が多いということではないでしょうか。
知人「私急いで帰らへんと!」
僕「ナニで帰るの?」
知人「…自転車で!」
ど天然の知人に、「ナニで」と、早く帰る理由「For What」を尋ねたところ、何を使って帰るのか「How」と取り違えて返事した時の会話です。(天然ボケもASD傾向の方によくいらっしゃるんですよ)
確かに文面だけを見れば、「How」で訪ねているとも思えます。ですが、僕が「早く帰る」ことに疑問を感じているということより、「ナニで帰る」という言葉に正直に回答しただけなのでしょう。いま思い返せば、彼女もまた、空気を読むのが苦手でASD傾向のある人だと思っています。
ASDの方を支援をしているときに、支援者として工夫が必要なことは、言語化の補助です。
前述の通り、ASD傾向のある方は、特に感情の言語化が苦手です。なので、文脈から読み取り、クローズドクエスチョン(イエスかノーで回答する質問)で質問し、感情の言語化を引き出すテクニックをよく使います。
僕「いま挙がった、うまく言えないことは、すべてはっきりした答えのない質問に対する回答ですか?」
利用者さん「そうだとおもいます。」
僕「確か以前、”期待しないことで失敗しない”という生き方をするとおっしゃっていました。それと関係ありますか?」
利用者さん「…ああ、ええ、はい。失敗を避けているのは、一方で自分に期待をしているからだと思います。なので…先ほど挙がった質問に答えないことで、自分に期待しないようにしているんです。怖いんです。」
クローズドクエスチョンから、いつの間にか自分の感情や考えを言語化し出されたとき、ぼくは手応えを感じます。
そして、そのクローズとクエスチョンを作るとき、参考にするのは、
「もし自分が目の前の利用者さんだったら、何と言ってほしいか」
です。
自己投影は、本来推奨されない行為です。
思い込みや決めつけがしばしばで、様々な問題が生じることがとても多いからです。
では、なぜあえてこれをするのかといえば、それは僕がASDのグレーゾーンだからです。
同じ特性を持つ人間同士だから、ある程度の推測が可能である。という前提で使うテクニックです。
そして、よく忘れられがちなのは、ASDでも感情はある。
ということです。冷たいわけではないですし、父のようにやさしいASD傾向のある人や、僕のように感情をくみ取ることを仕事とするASDグレーゾーンもいます。
みんな、人間なんです。
思いやり、傷つく、一人の人間なんです。
おとうさん、合ってる?