「私に対する裏切りは、いつか因果応報として帰ってきますよ。」
先日、10か月続けた古武道を退会しました。様々なことを学び、先生をはじめ、たくさんの良い人に巡り合わせていただき、感謝しています。
退会した理由は、8月から始めた新陰流兵法碧燕会に集中したかったからです。
正直にそれを伝えるべきかといえば、やはり角を立てないよう、もう一つの大きな理由を伝えすることで静かに去ろう。そう思っていました。
古武道の先生は、もう一つの事情に寄り添ってくださいました。どうしたら続けられるかをともに考え、勇気づけられました。
ですが、僕はそのときすでに、新陰流兵法碧燕会を選んでいました。
武道とは道、武術とは人を消す技術。では、兵法とは?
「新陰流は哲学なんですよ」
新陰流兵法碧燕会の先生は、そう仰いました。
10月に古武道の昇給審査を受けたとき、感じたことは古武道は道だということでした。
礼儀作法、努力、勤勉さ。技術よりも、その武道における規範を学ぶ。
審査の基準は僕が見る限り、どれだけ勤勉であるかが重要だと見受けました。
そこに感銘を受けると同時に、自分の求めるものとのズレ、違和感を感じたのです。
綺麗ごとは学びたくない
仕事において、マナーを守ること、自制心を保つことを、僕は最も重要だと考えています。
障害や疾病を持つ方の権利擁護。それが僕のお仕事です。
権利擁護とは、自分を律し、自他を尊敬する。それが基本だと考えるからです。
一方で、それらは綺麗ごとだという意識もあります。
プライベートにおいて、僕は綺麗ごとを捨てたい欲望が強いんです。
規範を守る”道”と、高みを目指す”術”。
僕は、後者を求めているのです。
哲学は道と術を包摂しているのかも
武道とは武の道。刀術とは刀によって人を効率的に消す術。
では、哲学である“兵法”とは?
ぼくにとって兵法とは、侍の精神。礼儀作法、多様な武器を使った殺人術、破壊と創造。すべてに通じる一貫した思想。
とても複雑で趣深い。
それを教えてくれる師とは、いったいどんな人だろう。
僕は、どんな人に、師事したいのだろう。
柔剣は剛剣を凌ぐ
今まで、何人か格闘技の先生にお会いしました。
殆どの人は、優しく、厳しい。
とても怖い表情を見せる。
強そうです。
ですが、本当に強い人は、わざわざ相手を怖がらせる必要があるのでしょうか。
怖がらせて警戒させている時点で、その技術は正しいのか。
柳生新陰流の演舞を見たとき、僕は宗家の表情を見て、違和感を感じたものでした。
「強そうに見せる技術は、ひとを消す技術として優れていないじゃないか」
「早く、強く、無駄がない技術が、優れた殺人術に違いない」
新陰流兵法碧燕会の先生は、ひょうきんな方です。
師匠や兄弟弟子といった上下関係に厳しくても、伝えかたにとても気を使われます。
「私にとって弟子は宝ですよ。」
何も恥ずかしがらず素直にそう言われます。
竹刀を握り、指南されるときも、いつもと変わらぬ先生が同じ目線で気さくなまま。
平常心
平常心こそが、僕の求める強さ。
新陰流兵法碧燕会に入門し、気づいたことです。
平常心でいるからこそ、相手の太刀筋を冷静に観察できる。
平常心でいるからこそ、相手の動きを活かして操作できる。
平常心でいるからこそ、相手の植え付けようとする恐怖を克服できる。
平常心でいれば、ぶれない自分でいることができる。
相手を負かすのは強さではない。自分の軸を守れることが強さ。
そう考えるぼくにとって、怖い人は強い人には見えない。人を怯えさせる技術は、真の強さではない。
人を消すとき、どれだけ効率的に相手を破壊するか。
人を癒すとき、それだけその人に寄り添うか。
これらは表裏一体で、極めるには両方を学ぶ必要があるんじゃないか。
コントロールできることは、己のみ。だとしたら、相手を変えるんじゃなくて、変わらない自分軸を創る。
新陰流兵法碧燕会は、仕事の裏である個人としての自分が欲するものだと思うんです。
「人の道としてどうでしょうか」
古武道の先生が、去り行く僕の不義理な行為にこの言葉を投げかけられました。
心が痛む。
一方で、その道は先生の道であり、僕の道ではないと思う自分がいました。
また、先生は新陰流兵法碧燕会の先生にも同じ疑問を抱いているという話をされました。
そして、最後に僕の裏切りを因果応報として返って来るものと指摘されました。
「あの人は悪です。」
仕事のミスを指摘するたびに、悪口を言いふらして自分を守る同僚を、そのように評価していました。
その因果応報として僕は、僕と僕があこがれ選んだ師匠の道を否定されました。
まさしくそれが、因果応報。
自分の道を、同僚に強制した。
だから僕は、お世話になった古武道の先生から道を強制された。
古武道の先生から最後に学んだこと。
それは、
覚悟をもって選んだ道は、誰に否定されても揺るがないこと。
僕は古武道より、兵法を選ぶために、御世話になった先生を裏切りました。
ですが、後悔はありません。
大切なものを選ぶために、傷つけることを選んだ。
正しいことではないと思います。
自分の悪たる決断も受け入れる。
それは、僕にとっての成長です。