私の全ての作品も、
さいとう たかを/漫画家
“人間という、自分達の作り出した矛盾の中に生きる生物”がテーマになっています。
そしてこの年令になっても、一方で生き物の生命を奪ってしか生きられないのに、
一方で、その事を無視するように動物愛護を声高に叫ぶ人間の矛盾、
等々に悩み苦しんでいます
これはキツイ…
料理を趣味にしようと、スーパーで鳥のレバーを購入しました。
ルビー色に輝く鳥のレバーは美しく、鉄分の足りない僕を魅了しました。
さあて、いざまな板に置いた瞬間、心に浮かんだ言葉
これはキツイ…
まず、手触りがキツイ。ツヤツヤの表面は、見た目通りに潤っていてツルツル。うっかり指の間からレバーが滑り落ちそうです。それでいてレバーは結構重量級。
「ぼたり…」
指の隙間から落ちたレバーの擬音は、こんな感じ。
まさしく、死体。
そう、我々は、常に死体を喰らって生きている。
それが鳥レバー煮を作り始めた時の、最初の気づきでした。
神様ごめんなさい…【R18】
ぬるりぬるりと指先から逃げる、レバーをつまむ。
ビチビチと生捕りされた魚のように跳ねるんじゃないかと、訳のわからないパニックを抑えながら、包丁を入れる。
ああ、この包丁、切れ味が悪い…
「介錯人は、居合術に長けるべきだ…ひと思いに介錯するために、居合術は存在する…」
だんだん発想が料理から遠ざかっていきます。まさしく現実逃避。鳥のレバーを調理するのは、非常に気持ち悪い。
ですが、それが、生きるということなのですよ…毎日目を背けている、命を奪い続ける行為。
それが、生きるということなのですよ…うう…
「食べることは原罪」
この言葉はよく聞きますが、これほどわかったつもりになっていた言葉が、人生であっただろうか?(いや、ない)
工場で逆さ吊りに固定され、流れ作業で首チョンパ。
「ギエー」と断末魔を上げる哀れな鳥を見ることもなく、
「綺麗な鶏肉だ」
と、スーパーでぼんやり夕食に思いを馳せる。
そんな呑気な日常を過ごす我々は、かくも罪深い…
ひえええぇぇ、レバーが;終ありgは;えういおbh
もうこれ以上詳細は書きませんが、レバーの調理は、ひたすら、辛い。
触るのも、切るのも、湯通しするのも全てが辛い。
昔は、家で飼っていた鶏を、庭でくびってバラしていたと。
そう、本来生きるとは、こういうリアルと向き合うこと。
命を奪うことと向き合うことは、本来生きることとセットなのでしょう…いやぁ、それにしてもキツい……
まるでゲームみたい
イランイラク戦争(湾岸戦争)が発生した時、子供心に飛び交うパトリオット迎撃ミサイルなどを見ていた私は、そう思いました。
今は、ウクライナの戦争やパレスチナでドローンが使われているとのことです。
と、いつもなら上から目線で戦争への問いかけへと論理をつなぐ所なのですが…。
とにかく、鳥のお腹の中身を捌くのは、マジで辛い。
食肉工場で働く皆さん、惣菜を作ってくださる方々、皆さん真のエッセンシャルワーカー。心の底から尊敬します。(あと、斬首人も)
昔、とあるSNSで「人間以上に賢い生き物がいたら、その生き物は人をどう扱うか?」という質問に回答したことがあります。
その時の回答は、こんな感じ
多分、人が他の動物を扱うのと同じように扱うでしょう。犬や猫のように可愛い人間は飼い、牛や馬のように強い人間は働かせ、豚や鳥のように美味しい人間は食べるでしょう。
みくりや てつき/作家
実際、スピリチュアル界隈では「この惑星は、異星人に支配され、その異星人にとっての人間は家畜と大差ない扱いを受けている」というロジックがあるようです。
たまたま僕は宇宙の真理に到達していたようですが、実際そんな扱いされたらたまったもんではありません。
とはいえ、動物から見れば「人間なんて酷い奴ばっかり」と言われたら、ぐうの音も出ません。
もし異星人に出会って、人を動物扱いする(ああ、仏教徒から見たら人は動物だ。動物に魂がないというキリスト教徒…おそるべき思想設計…!)その人にこう問いかける。
「貴様今までいったい何人の人間を食べてきたんだ!」
と聞いたら、
おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?
ディオ・ブランドー/ジョジョの奇妙な冒険
と返されるかもしれません。人間を超えた存在だけに。
鳥レバー煮を作ることで、大悟を得た超越者たる私は、何一つ言い返せない。
いやぁ、命乞いして逃げまわると思います🙇
ASD傾向の強い方は、全てを平等に見る傾向があるそうです。
だとすれば、「善人と悪人の違いなんてない」と考えるASD傾向の方も、きっといると思います…あ、そういやそんなこと、ぼく前言ってた。結局は、ASDと診断されなかったけど💧
一見「サイコパス」と人からみなされる方は、もしかしたらそう考えているのかも知れません。