6/17【エッセイ】ASDと鳥レバー煮の気づき

ギフテッドは存在しない

「発達障がいはギフテッド」

最近、そんな論調を良く見受けます。

実際に発達障がいの方を支援していると、そう思うことはよくあります。

「ああ、この人、ギフテッド(天才)だ。」

と。

ですが、かなり前からギフテッドという言葉に違和感を覚えていました。その違和感は、だんだん不快感であると自覚しだしました。

(ギフテッドの何が不快なんだろう?)

長らく自分の中で、答えが出せませんでした。

ギフテッドの定義は存在しません。

IQ(全検査IQ:FIQ)130以上がギフテッドということも聞いたことがありますが、なぜそれが天才であるか、科学的に実証することができないと思います。

なぜでしょうか。

なぜなら、”賢さ”というものは存在しないからです。

「”かしこい”って、どういう意味ですか?」

そう聞かれたとき、十人十色の答えが返ってきます。

なんでもすぐ暗記すること。
すぐにテニスを覚えること。
将棋が強いこと。
数学のテストで高い点数を取ること。
シンプルで奥深い説明ができること。

これ、全部共通する点があることに、お気づきですか?

これは、何かができることを言っているんじゃないでしょうか。

つまり、「かしこい」というのは、「~ができる」と言い換えることができると思います。

では、あなたにとって、将棋が強いことは、かしこいことになりますか?

それは、人によると思います。

何をもって賢いかは、特定の能力があり、それを見る人が主観的に高いと評価した時に決まる。

なので、将棋に興味がない人にとって、藤井聡太さんはただの人です。

野球に興味がない僕には、大谷翔平さんも、ただの人です。

つまり、ギフテッドとは、誰かが勝手に言っていることなんです。

それは”自称ギフテッド”も含みます。

それは、よいか悪いかといえば、よいと思います。誰かの能力を認めて、高く評価するのは素晴らしい。それが自分なら、自己肯定感が高い。

素晴らしい。

ですが、

ギフテッドが「他人より優れている存在」という文脈で使われるときに、それは危険なものになる。

それが、僕の感じた不快感の正体でした。

↓【ギフテッドが差別をするようになった記事】

https://news.yahoo.co.jp/articles/e24d4c4152a7e0c9bb13d71c84d16aa8aa27ca61?page=2

上記の記事にある通り、「ギフテッド」とそうじゃない人を選別した結果、「ギフテッド」たちは差別するようになったのです。

良くある選民思想にまみれたとしか見えません。浅はかであると評価したくなります。

ギフテッドの”選民”に使われることもある、IQは、全検査IQといわれるものです。四つの下位尺度の数値をもとに決まる”かしこさ”です。

全検査IQには、何の意味もありません。なぜなら、具体的に何の能力を示す値でないからです。

一方で、下位尺度には意味があると思います。

言語理解は、論理的思考力や言語表現力、読解力、教養など。
知覚推理は、直感的に答えにたどり着く力、空間認知など。
作動記憶は、適応力や暗算など。
処理速度は正確で速い動きや、思考速度。

それらを組み合わせることで、例えば言語理解と知覚推理が高ければ、証拠をもとに原因と結果を論理的に説明する能力がある根拠を示すかもしれません。

「かしこい」この言葉は、思考停止だと思います。

「何ができる」「何が得意」それを十分に言語化しないときに、人は「かしこい」という言葉を使うのではないでしょうか。

承認することは素晴らしい。一方で、その承認が、差別を生む。

ギフテッド、天才

これらの言葉は、安易に使えば差別をもたらす。

だから、世の中のギフテッドの皆さんに伝えたい。

声を大にして伝えたい。

あなたのダメなところも、好きになってください。

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この記事を書いた人

みくりやてつきのアバター みくりやてつき 所長(仮)

在住国:日本 現在地:愛知県 主に発達障がいの方を対象とした、IT特化の、就労移行支援事業所、サービス管理責任者。 精神保健福祉士 TOEIC840 日本語教師 作家

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