私たちはこの世の楽園に向かって旅をしている。この世の楽園とはこんなものだろうと君が思うもの – それがこの世の楽園だ。
ジェフリー・フォード/作家
【過去】引っ越しが好きだった
振り返れば大学生時代、僕は年に一度引っ越しをしていました。
京都の大学に進学したのですが、最初は太秦の映画村に近いアパートに住んでいました。
2回生に進級する時、紫野という北の方にある雑居ビルに引っ越し。エアコンのない部屋で、夏になると朝の4時には目が覚めるような毎日を過ごしていました。
京都の夏は激しい…
3回生になると、聚楽廻に引っ越し。二条城の近くでした。その2年前に地下鉄サリン事件により、世界に日本の安全神話が崩壊したことを知らしめたオウム真理教のPCショップがあった店舗が近所にありました。
4回生になると、千本今出川というアクセスの良い、安価で条件の良いマンションへと引っ越します。3年で4回引っ越すと、鼻が効くようになるのでしょう。
こんなに引っ越しができたのは、今で言うところのパワーカップルにあたる両親のおかげです。
引っ越しは厄払いに似ている
思えば、転居は自分にとっての厄払いのようなものだったんじゃないかなぁ…
旅に出たくなる気持ちを、松尾芭蕉は、まるで衝動的な欲求であるかのように語っていたように覚えています。
「そぞろ神に誘われて…」
そんな語り口だったっけ?
40代になってから、僕の引越し衝動は再燃します。
大阪府堺市→大阪市生野区→なんば→大阪城近辺…
振り返ってみると不思議なのは、引っ越す1年ほど前に口にしているですよ、次の転居先を。
言葉にすると実現すると言うのは、結構本当なのかもなぁ…。
引っ越す理由は、だいたい生活苦です。かといって安いところに引っ越すとは限りません。
そのとき自分が求めているものがある場所へ、いつも行っていたように思います。
辛くなると引っ越して、しばらくの間澄んだ気持ちで生活を楽しむ。
しばらくすると不運に見舞われ、衝動的に引っ越す。
まるで厄払いみたいです。
【現在】旅が好き
幾度もの転居を繰り返すうちに、引っ越すことが自分を苦しめていることに気づきます。
そりゃまぁ、生活苦なのに安いところに引っ越さないから、貧乏になりますよ…
なぜ、引っ越しを繰り返していたのか?
いまも、気になる部屋の間取り図を見ながら、どうせやらない引越しに思いを馳せる。
なぜ?
厄払いというと、なんとなく納得してしまいそうになりますが、それは答えになってないような…
引っ越しをすると、心が落ち着く。
あ、リフレッシュ?
じゃぁ、リフレッシュできたら引っ越さないんじゃない?
引っ越しみたいにリフレッシュできる趣味ってんだろう?
見える景色が変わり、スーパーの品揃えが変わる。すれ違う人々の空気感が変わる。
確かアメリカにホームステイしたとき、コンビニの品物が悉く見たことのないものに変わったあの新鮮な気持ちが、そんな感じだった。
僕が欲しいのは、刺激なのかな。
あ、そっか。
旅に出ればいいんだ。
S市杜王町
そぞろ神に誘われて、やってきたのは東北最大の都市。
ジョジョの奇妙な冒険の舞台になったこの街に、僕は引き寄せられてきたのでした。
降り立った仙台駅の感想は、
「ただの地方都市」
仙台市民の皆さんごめんなさい…
Googleマップを辿って、ジョジョ好きの聖地江陽グランドホテルにたどりつくまでの景色も、まるで名古屋市内のアーケード街みたい…
以前、岐阜県のひるがのにいったとき、そこには本当に何もなく、ただひたすらベッドで眠り、豪華ディナーを食べました。
僕に必要なのはこれだ。何が必要なものかを考えるんじゃない。感じるままに、僕が必要とする旅にたどり着くのだ。
何の根拠もなく、力強くそう思ったものの、今回、なんだ、この、違和感…
とりあえず、街を歩く
ホテルの隣にはマクドナルド。向かいにはカフェヴェローチェ。
街を歩くと、そこには個性のないチェーン店。
もちろんマックもヴェローチェも美味しくて安い。
でも、僕が求めているのは、いつもと違う景色…
旅を楽しむ術
旅を楽しむには、観察することが大事。
敬愛する荒木飛呂彦さんの愛する街、仙台にたどり着いた僕に必要なのは、楽しむ心意気でした。
2年暮らしたN市栄と変わり映えのない景色が続くS市杜王町。墜落するのではと怯えながLCCに乗ったからには、いつもより楽しむのだ!
あれ?
よくみると、この街にも個性=多様性がたくさんあるぞ…
美容整形してる人が少ない
N市には美しい男女がたくさんいます。まるでモデル並みに整った顔立ちの男女。それも若者だけでなく中年の美男美女もいっぱい。
韓国が牽引した美容整形文化の浸透でしょうか。どの人もとても美しい。一方で、自然で親しみ深い風貌の人も、杜王町にはたくさん。
なんだか親しみやすい。
そして、他人の警戒心が心なしか薄いような?
杜王町民の射程距離は近距離
射程距離というと物騒ですが、つまりあまり近くに立っても、体がこわばったりしない傾向があるように見受けたんです。
N市はもっと遠い距離でも肩が吊り上がったり、少し身構えたりする。笑いにこだわり、人間関係の距離が近いことで有名なO市は、もっとです。
ゆっくり歩くまち
杜王町の皆さんは、ゆっくり歩かれています。ゆっくり歩けば、自然と相手の動きがよく見えるからでしょうか。そっと立ち止まって道を譲られます。
北仙台駅におり、青葉神社にお参り。
努力家を祝福すると言われる伊達政宗公をお参りする。
神社に辿り着く街並みを見ると、皆さん綺麗で整った住宅にお住まい。
とはいえ、外車やプリウスなど高級車を所有しているような家もなく。
なんだか、素朴で豊かな街だなぁ。
多様性を尊重することの豊かさ
しきりに僕は多様性を叫びます。
なぜか。
それは、多様なものは見ていて楽しいからです。
豊かな生活を送れるからです。
知らない街には、知らないものがたくさんあります。
仙台には牛タン屋があちこちに。土産物屋にはずんだ餅。
もちろん、ジョジョ好きはニヤリとするゴマ団子も。
大阪ならたこ焼き屋さんがいっぱい。
京都には有名なお寺がいっぱい。
名古屋市は味噌味の美味しいお店が、大阪のたこやき屋さんに負けず劣らずそこらじゅう。
たくさん名物の店があるというとは、その名物はクオリティが高くてお値打ちだということ。
名物に美味いものなし?大阪のたこ焼き、食べたことあります?
そんな個性が日本中、世界中の街に溢れてる。
もし、世界中のスーパーとコンビニがセブンイレブンだけになったら、それはそれはつまらない食生活を送ることになることでしょう。
(でも、セブンイレブンは大好きです)
旅とは多様性のフィールドワーク
多様性を尊重するには、多様性を楽しむのが一番。
だから、旅に出るのです。
奈良県の明日香村で、桜吹雪の祝福の中、遺跡を巡るサイクリング。
京都府の美山町で茅葺古民家に宿泊すること。焚き火で世界から来た友人たちとマシュマロを焼く。
北海道浦河町にある教会で、極寒の中、北海道という日本の文化が比較的定着しない、歴史の新しい土地の生活を知る。
アメリカはシアトル北端にあるファーンデールで、夏の沈まない日の中広大な庭でバレーボールをする。
カナダはバンクーバーの巨大な公園で樹齢数百年のセコイアを見る。
あらゆる経験が、どんなニュースより雄弁に、生きることの悦びを語り、伝えてくれることでしょう。
【未来】旅をしながら自由を楽しむ
風の時代と呼ばれる、個人事業主が爆発的に増えているこの時代。
それは、個人が自分の責任で、モノを言い、社会に参加する時代なんじゃないかと思います。
自己責任という言葉は好きではありません。
それはただ、政府が為政者の責任を国民に押し付けるために使った言葉という印象が強かったからです。
ですが、自己責任という言葉は、一方で自己の権利を伴うということを含んでいるんじゃあないかと。
それは、民主主義が守られることによってのみ、正当に機能するはずの、基本的人権をより声高に主張するための、現実的なプロセスかもしれません。
会社に守ってもらうことを経て、いつか、僕は個人として働くと思います。
その時、僕は旅をしているんです。
世界中の今までに会った友人、世界中のまだ見ぬ友人と、手を取り合って、人生を楽しむんです。
言葉や、写真、動画や、これから先確立されていく技術が、僕たちの仕事の幅を広げる。居宅の自由、職業選択の自由、言論の自由。現実的には制約を受けるこれらの自由権を、まさしく現実的に拡大するかもしれません。
その時、僕は必ず自由である権利を主張する。
それは結果的に社会を良くする、ただの市民、いち個人としての僕ができる政治なんだと確信しています。