何故妄想しない…
おれは全力で
あなたのお嬢さんを
守りますすでに
のっぴきならない事態に
陥ったようだがこの闘いは生き抜く・・・・・
アナスイ/ジョジョの奇妙な冒険
科学技術で培われた現代、客観性はとても重要と教育されます。
科学や論理というものは、人に何かを伝えるうえで、欠かせない重要な手続きだと考えます。
現場の経験則にある、様々な発見。ですが、そこに他人との接点はあるのでしょうか。
「だいたい3秒間」
「このくらいの温度」
「違和感を感じた」
このような”直感”をもとにした経験則は、得てして最先端の技術のきっかけになると思います。
科学者の皆さんが、それらの知恵を、統計や実験で検証し、法則性を見つけ出す。それにより、再現性のある効率的な技術伝達が確立される。
素晴らしい。
ですが、主観的な考えは、客観性と比較して、価値は低いのでしょうか?
「主観が一番大事」
最近、つくづくそう思います。
世界とは、個人の主観によって構築されていると思います。
眼で見て、
耳で聞いて
鼻で嗅いで、
口で味わって、
肌で感じる。
時間の流れを感じ、平衡感覚を保つ。
全ての知覚を統合し、世界を主観的に認識する。
坊や 強く生きるんだ
小さな木の実/海野洋司
この広い世界 おまえのもの
世界とは、父と母が自分のために創ってくれたもの。その認識は破綻していない。
なぜみんな、客観的であろうとするのか
穿った見方をすると、ひとが客観的であろうとすることは、「格好をつけているから」だと考えられます。
「あの人は自分のことが好きだ」
「この歌は最高だ」
「自分は世界一幸せだ」
それってあなたの主観ですよね?
ひろゆき
関係ない 行け
ディオ/ジョジョの奇妙な冒険
自分の主観を否定するのは、周囲の目を気にして、格好よく見せているだけなのかもしれません。
主観的に生きている人は幸福
以前、ナルシストはどんな気持ちなのかという疑問を解決すべく、河村隆一さんの「Love is…」を熱唱してみました。
両腕で自分を抱きしめ、心の底から感情移入し、熱唱です。思い返すとそのあられもない自分の姿に自決したい衝動に駆られます。
ナルシズムは完全な精神状態
いざ、ナルシズムに浸ったところ、非常に深い安心感に包まれたことを覚えています。まさしく完全。自分は最高で、だれよりも美しい…。
そう
おれはこの世でだれよりも強く・・・そして美しい!
ユダ/北斗の拳
「もう、戻れない」
そう思った僕は、つづけさまに尾崎豊さんの「Oh my little girl」を歌いました。
「…これは違う」
そう、思いました。尾崎豊さんは、他人のために歌っている。そう、思いました。そして、儚い夢から引き戻されてしまったのでした…。
解脱を前に、再入滅した自分を悟った瞬間です。
主観とは、自信
自分が感じた気持ちは、どうあれ真実です。
統合失調症患者の方の、幻覚、幻聴、妄想。
特に疾患をお持ちでない方でも、思い込みにいとらわれるなんて、日常茶飯事。
その主観を頭から否定する。
他人にそれを言われるのは、当然かもしれない。
ですが…なぜ…
なぜ、自分の素直な思いを自分で否定するのでしょうか
自分に嘘をついて、人生損をしていると思いませんか?
「ステーキを気が済むまで食べたい」
好きなものを食べて、何が悪いのでしょうか。
「あの人に話し掛けたい。自分だけに見せてくれる、あのこぼれる笑顔を今すぐ見たい」
何故、声をかけないのでしょう。
「髪の色をピンク色に染めたい」
自由権を持つわれわれ日本人に対し、誰が髪の色を禁止する権利があるのでしょう。
口にしなくても、自分の心に沸く素直な感情を否定して、どんな徳があるのでしょうか。
「綺麗ごとはいらない」
支援会議をするときに、最近、特に感じます。
客観性、根拠、データ。どれも情報共有に不可欠だと思います。
ですが、ただの説明に過ぎないという真実が隠れている。
前提としての正論を、小手先の慎重論で議論する。それは、意味がないのではないのでしょうか。
就労移行支援施設のサービスは、利用してくださって初めて提供できます。
どうしても来ることができない人を支援することは難しい。そこには、契約者である、利用者さんの努力が前提となる。
そこに寄り添う時、好かれることは仕事でしょうか。
就労移行支援員の仕事とは、就労していただくことです。人気取りではありません。
たとえ嫌われても、就労するために必要なことをするのがお仕事。そこに綺麗ごとはありません。
自分のミスを指摘されたとき、相手のあら捜しをする。それは自分のミスから目を背け、自惚れること。成長を自ら捨てることだと考えます。
それは人間として自然なことだと思います。成長しないといけないなんて気まりは、ないと思います。
自分が信じることを否定しない
それは、他人が信じることを肯定することとセットだと考えています。
誰かに自分の意見を嗤われたとき、僕はだいたいこういいます。
「なるほど」
主観性客観性バイアス
人間には、「自分は客観的で、他人は主観的」というバイアスがあるそうです。
だから、他人の意見に「なるほど」と素直に耳を傾けるのがちょうどいいと思います。
このバイアスがあるということは、殆どの人が、自分が正しいと思っているということになります。
だからこそ、他人の意見に耳を傾ける。素晴らしく得をする。
でも、何よりも大事なのは、自分が素直に思ったこと。
決して否定せず自信を持つこと。
どうしても自分の素直な気持ち受け入れられないときは、Villege Peopleの”Macho man”を歌い、自分を抱きしめてください。